【源義経】みなもとのよしつね

 平安時代後期の武士(1159~1189)。清和源氏、源義朝(みなもとのよしとも)の九男で、源頼朝、範頼の異母弟にあたる。『平治物語』、『平家物語』、『義経記』などにその生涯が語られるが、記録による裏付けができないものが多い。

 頼朝の挙兵とともに参戦し、源義仲追討、平氏追討などに顕著な活躍をしたが、しだいに頼朝と不和となり、平氏滅亡後、頼朝に無断で官位を得たことを契機として対立した。頼朝による追討を受けて、近畿から東北の平泉(岩手県南部)へ逃れ、一時は奥州藤原氏(藤原秀衡、ふじわらのひでひら)の庇護(ひご)を得たが、秀衡の死後、後を継いだ藤原泰衡(ふじわらのやすひら)は頼朝の圧力に抗しきれず、義経を襲撃して自刃させた(衣川の戦い)。

 英雄的な活躍と、その後の悲劇的終末から、物語を通じて多くの人の同情を呼び、「判官びいき」といった言葉を生んでいる。

 
【一ノ谷の戦い】いちのたにのたたかい

 寿永3(1184)年に、現在の神戸市西部でおこなわれた源氏と平氏の戦い。この前年に都落ちした平氏は、西国で軍を再編して摂津福原へ進出した。これに対し京都に駐留していた源範頼(みなもとののりより)・義経軍は、後白河上皇による平家追討の宣旨を獲得して京都から福原へ向かい、生田、一ノ谷から大輪田の泊付近に布陣した平氏と戦った。この際、範頼・義経軍は二手に分かれて平家軍を急襲する。物語上有名な、義経による「鵯越(ひよどりご)えの逆落とし」である。戦闘は激戦となったが、平氏は多くの武将を失って四国へ敗走した。

 
【畝】せ

 日本古来の面積の単位。1畝は、約100平方メートル。