【醍醐天皇】だいごてんのう

 第60代の天皇(885~930)。在位は897~930年。藤原時平を左大臣に、菅原道真を右大臣に任じ、天皇親政による積極的政治の運営をして、律令政治が最後の光彩を放つ「延喜の治」を創出した。道真の失脚後は藤原氏の勢力が拡大した。

 
【空海】くうかい

 平安時代前期の僧(774~835)。弘法大師(こうぼうだいし)の諡号(しごう)で知られる、真言宗の開祖。最澄(伝教大師)とともに、奈良仏教から平安仏教への、転換点に位置する。また書道家としても知られ、嵯峨天皇(さがてんのう)・橘逸勢(たちばなのはやなり)とともに「三筆」と呼ばれる。

 空海は、讃岐国の豪族佐伯氏の子として、現在の香川県善通寺市に生まれた。15歳で論語、史伝等を学び、18歳で京の大学に入った。20歳ごろから山林での修行に入り、24歳で儒教・道教・仏教の比較思想論でもある『三教指帰(さんきょうしいき)』を著した。

 延暦23(804)年、遣唐使留学僧として唐に渡る。804年~806年にかけて、長安の醴泉寺(れいせんじ)、青龍寺などで学んだほか、越州にも滞在して土木技術、薬学などを学んだ。806年に帰国。本来の留学期間20年に対し、実際の在唐はわずか2年であった。

 帰国後、東寺(教王護国寺)を賜って真言宗の道場とし、816年には高野山に金剛峰寺を開いて真言宗の興隆につとめた。また私立学校として、綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を開設した。

 弘仁12(821)年、満濃池(まんのういけ、香川県にある日本最大の農業用ため池)の改修を指揮して、当時の最新工法を駆使した工事を成功に導いたとされる。

 承和2(835)年、高野山で入定(にゅうじょう)。なお真言宗では、空海の入定は死ではなく永遠の禅定に入ったものとしている。

 「弘法大師」の諡号は、延喜21(921)年醍醐天皇より贈られたものである。従って、北海道を除く全国に5000以上あるという弘法伝説のほとんどは、空海の歴史的事跡とは関係がない。その成立には、中世に全国を勧進してまわった遊行僧である、高野聖(こうやひじり)の活動も関連しているとされるが、一方で、仏教のみにとどまらない空海の幅広い活動と、それに対する民衆の崇敬が、伝説形成の底辺にあることも確かであろう。

 
【相応峰寺】そうおうぶじ

 新温泉町に所在する天台宗の寺院。観世音山と号する。浜坂湾に突き出た岬にある、観音山山頂に本堂、そのふもとに里坊がある。行基が737年に開いたとされる。本堂には平安時代前期の十一面観音立像があり、国重要文化財に指定されている。

 
【正福寺】しょうふくじ

 新温泉町に所在する天台宗の寺院。天竜山と号する。848年に、慈覚大師が湯村温泉を開発した際に創建したと伝えられ、湯村温泉の荒湯を見下ろす高台に建つ。本尊は、平安後期の作とされる不動明王立像で、県指定文化財。境内に、正福寺桜と呼ばれる桜があり、県天然記念物に指定されている。

 
【正福寺桜】しょうふくじざくら

 キンキマメザクラとヤマザクラの自然交配種とされる八重桜で、兵庫県の固有種といわれている。植物学者牧野富太郎により、「Prunus tajimaensis」の学名が与えられている。がく片10枚、1つの花に雌しべが2~4本ある珍しい桜で、花と赤い葉が同時に育つため、満開のころは桜の木が真っ赤に見えるという。

 
【岩瀧寺】がんりゅうじ

 丹波市氷上町にある真言宗の寺院。寺伝によれば、弘仁年間(809~823)に、嵯峨天皇が霊夢にもとづいて、空海をこの地に派し、伽藍(がらん)を整備させたという。16世紀の後半に、兵火によって全山を焼失し、その後領主の別所重治により再興。18世紀以降も、九鬼氏(くきし)らによって堂宇の再興がおこなわれたという。

 寺の背後をなす山地には、独鈷の滝、不二の滝と呼ばれる滝があり、特に紅葉の名所として知られる。

 
【独鈷】どっこ

 とっこ、独鈷杵(とっこしょ)ともいう。

 密教で用いられる法具、金剛杵(こんごうしょ)の一種。鉄製または銅製で、両端がとがった短い棒状のもの。煩悩をうち砕き、人間本来の仏性をひきだす道具とされている。

 
【由良川】ゆらがわ

 兵庫県・京都府北部を流れる河川。丹波高地の三国岳(標高959m)に発し、北流して、舞鶴市と宮津市の境界をなしつつ若狭湾に注ぐ。兵庫県丹波市からの支流である黒井川は、同市氷上町石生に発するが、加古川水系の高谷川もここから流下する。両川の分水嶺(ぶんすいれい)は標高94.5mで、太平洋側と日本海側を分かつ本州中央分水界では最も標高が低く、古来水分れ(みわかれ)と呼ばれる。宮津市由良は、かつては由良川水運の港として栄えた。

 
【分水界・分水嶺】ぶんすいかい・ぶんすいれい

  雨が、二つ以上の水系へ分かれて流れる境界。通常は山の稜線(りょうせん)が分水界となる。