【陰陽師】おんみょうじ(おんようじ)

 律令国家で、中務省(なかつかさしょう)所管の陰陽寮に置かれた職員。天文、暦の算定、吉凶の占いをおこなう呪術師。陰陽道は、中世には貴族から武士へと広がったが、室町時代末ごろにはしだいに衰え、民間で占いや祈祷(きとう)、薬の製造などをするようになった。

 
【宇治拾遺物語】うじしゅういものがたり

 鎌倉時代初めごろに編集された物語集。編者、正確な成立年代は不明。全15巻からなる。仏教的な説話、舌切りすずめ、わらしべ長者のような民話など、さまざまな伝承を収録しており、民俗学的にも重要な資料である。

 
【安倍晴明】あべのせいめい

 平安時代中期の陰陽師(921~1005)。後に陰陽道を司る土御門家(つちみかどけ)の祖。賀茂忠行・保憲父子に陰陽・推算の術を学んで、式神を使い、天文を解する陰陽家となったという。事変を予知し、芦屋道満による藤原道長呪殺を防いだ逸話が伝えられている。

 
【芦屋道満】あしやどうまん

 蘆屋道満とも記述する。

 平安時代中期の僧、陰陽師(生没年不詳)。道摩法師(どうまほうし)とも呼ばれる。道摩家は陰陽道の名家である。江戸時代の地誌『播磨鑑(はりまかがみ)』では、播磨国岸村(加古川市西神吉町岸)の出身とする。安倍晴明の好敵手とされ、『宇治拾遺物語(うじしゅういものがたり)』によれば、藤原道長を呪殺しようとして安倍晴明に看破され、捕らえられて播磨へ追放されたという。

 
【畝】せ

 日本古来の面積の単位。1畝は、約100平方メートル。

 
【石棺仏】せっかんぶつ

 石棺の部材を利用して作られた石仏。石棺の蓋(ふた)のような板状の石材をそのまま利用して、浮き彫りで石仏をあらわしたものが多い。加古川市、高砂市、小野市、加西市など、加古川流域西部に多く分布する。13~16世紀に製作されたものが多いと考えられている。

 
【平荘湖古墳群】へいそうここふんぐん

 加古川市平荘町の人造湖である平荘湖とその周辺に分布する古墳群。平荘湖のために約50基が水没した。最も古い古墳は、5世紀後半にさかのぼるが、大部分の古墳は6~7世紀に築造されたものである。平荘湖古墳群の中には、百済系といわれる初期の須恵器を出土した池尻2号墳、金銅製(こんどうせい)の馬具、金糸などを出土した池尻15号墳、金製垂飾付(たれかざりつき)耳飾を出土したカンス塚古墳など、注目される古墳も多い。

 
【宝篋印塔】ほうきょういんとう

 本来は「宝篋印陀羅尼経(ほうきょういんだらにきょう)」を納めるための塔。日本では平安時代末ごろから作られるようになり、鎌倉時代中ごろからはその役割が、墓碑や供養塔に変化していった。多くの場合石塔である。

 
【悪党】あくとう

 本来は「悪者」を意味するが、日本史では、鎌倉時代末期から室町時代初めにかけて活動した、荘園領主(貴族)、幕府などに抵抗する、独立性をもった在地の集団(武士)をさす。悪党は中央政府から見た、「荘園を侵して荘園領主や政権に反抗する者」の呼び名である。鎌倉幕府打倒の戦いで知られる、河内国の楠木正成も悪党である。