2020年2月1日(土曜日)

2/1 ひょうご歴史研究室in淡路島+淡路島日本遺産海人の調査研究事業Ⅲの結果

兵庫県立歴史博物館ひょうご歴史研究室と、淡路島日本遺産委員会との連携事業は4年目に入った。
今年度は、大阪湾岸と淡路島の海人の生業や習俗、地域間の広域移動について共同研究した。
その成果を考古学と文献史学の双方の立場から発表・討議し、淡路島古代史の魅力に迫ろうとしたのが、本シンポジウムである。

講演とコメント

講演①

「漁具からみた大阪湾岸と淡路島の海人」和田晴吾(兵庫県立考古博物館長)

講演②

「記紀の「棹根津日子(さおねつひこ)」伝承と大阪湾岸のウミガメ」坂江 渉(ひょうご歴史研究室研究コーディネーター)

コメント①

「洲本市域における大阪湾岸の古墳時代」金田匡史(洲本市教育委員会生涯学習課文化振興係担当係長)

コメント②

「海人の広域移動をめぐって」古市 晃(ひょうご歴史研究室客員研究員/神戸大学大学院教授)

パネルディスカッション(約1時間)

討論はまずキーワードとなる古代の「海人」の定義について、2人の講師が意見を述べ合う場を設けた。
そのうえで参加者からの質問用紙も踏まえて、次の5つの内容を柱にして議論をすすめた。

  1. 大阪湾岸における干潟、ラグーンにおける「刺し網漁」の形態はどんなものを想定できるのか、
  2. 海人の生業の一つとして航海があるが、その当時、どんな舟が使われていたのか
  3. 海人による瀬戸内海の広域移動を想定した場合、その途中での物資や人夫の補給はどこでおこなわれ、そこに大阪湾岸の海人の拠点が置かれていたのか、
  4. 洲本市域の海人は、どんな生業に従事していたのか、とくに阿波の水銀朱との関連で、
  5. 明石垂水の五色塚古墳の被葬者は海人だったのか、

回収したアンケートによると、内容についてやや難し過ぎたとの意見もみられたが、おおむね好評だった。
司会は、淡路市教育委員会の伊藤宏幸文化財活用等担当部長と、古市晃客員研究員がつとめた。
参加者は190名だった。(文責は坂江 渉)