立野村、豊岡町、見発山辺りから始まる円山川沿いの実景を描き、温泉寺を過ぎ、後ケ島辺りで画面は終わる。地名が墨書された小札も貼付されている。画面に続き詩文「遊桃島」が記され、文末には享保庚子(1720)仲春の年記とともに「見住興国釣雪山人百拙叟」と署名される。ここから本図巻は百拙元養(ひゃくせつげんよう)(1668~1749)が描いたものだと分かる。百拙は黄檗宗の僧侶。享保3年から9年まで豊岡の興国寺(現在は廃寺)住職だった。本図巻は百拙が興国寺住職だった時期の作品という点で興味深いが、それ以上に本図が真景(しんけい)山水図である点が重要である。18世紀後半、池大雅(いけたいが)など真景山水図を描く画家たちが活躍するが、彼らに先立つ存在として百拙、そして本図巻を位置づけることができる。
資料解説
立野村、豊岡町、見発山辺りから始まる円山川沿いの実景を描き、温泉寺を過ぎ、後ケ島辺りで画面は終わる。地名が墨書された小札も貼付されている。画面に続き詩文「遊桃島」が記され、文末には享保庚子(1720)仲春の年記とともに「見住興国釣雪山人百拙叟」と署名される。ここから本図巻は百拙元養(ひゃくせつげんよう)(1668~1749)が描いたものだと分かる。百拙は黄檗宗の僧侶。享保3年から9年まで豊岡の興国寺(現在は廃寺)住職だった。本図巻は百拙が興国寺住職だった時期の作品という点で興味深いが、それ以上に本図が真景(しんけい)山水図である点が重要である。18世紀後半、池大雅(いけたいが)など真景山水図を描く画家たちが活躍するが、彼らに先立つ存在として百拙、そして本図巻を位置づけることができる。