楠正成(まさしげ)が討ち死に覚悟で湊川(みなとがわ)の戦いに赴く途中、摂津桜井駅で子・楠正行(まさつら)を諭し、河内に帰したという『太平記』でもよく知られる場面を描いた作品。画面に款印はなく、作者は不明である。画面は6曲1隻で完結しているが、他の主題を描いた6曲1隻屏風とで1双だった可能性はある。また第6扇上方には別絹が貼られ、そこに「楠正成教子図」と題する一文が記されている。正徳元年(1711)の朝鮮通信使来日の際、返礼として幕府から朝鮮国に20双の屏風が贈られ、その中に狩野春湖(しゅんこ)筆「小松教訓、楠遺誡」があった。このうちの1隻「楠遺誡」の画題説明のため「楠正成教子図」と題する詩文が作られた。これが「白雉(はくち)帖題辞」(『新井白石全集』4ほか)に収録されるが、それが本作品の詩文「楠正成教子図」に一致する。本作品を考える際、参考となる事実である。因みに、正徳元年、朝鮮国に贈られた20双の屏風を載せた船は朝鮮に向かう途中、五島沖で沈没しているので狩野春湖筆「楠遺誡図屏風」は現存しない。
資料解説
楠正成(まさしげ)が討ち死に覚悟で湊川(みなとがわ)の戦いに赴く途中、摂津桜井駅で子・楠正行(まさつら)を諭し、河内に帰したという『太平記』でもよく知られる場面を描いた作品。画面に款印はなく、作者は不明である。画面は6曲1隻で完結しているが、他の主題を描いた6曲1隻屏風とで1双だった可能性はある。また第6扇上方には別絹が貼られ、そこに「楠正成教子図」と題する一文が記されている。正徳元年(1711)の朝鮮通信使来日の際、返礼として幕府から朝鮮国に20双の屏風が贈られ、その中に狩野春湖(しゅんこ)筆「小松教訓、楠遺誡」があった。このうちの1隻「楠遺誡」の画題説明のため「楠正成教子図」と題する詩文が作られた。これが「白雉(はくち)帖題辞」(『新井白石全集』4ほか)に収録されるが、それが本作品の詩文「楠正成教子図」に一致する。本作品を考える際、参考となる事実である。因みに、正徳元年、朝鮮国に贈られた20双の屏風を載せた船は朝鮮に向かう途中、五島沖で沈没しているので狩野春湖筆「楠遺誡図屏風」は現存しない。