資料名

淡路島水深図 あわじしますいしんず

資料解説

18世紀末以降、日本沿岸各地に異国船が頻繁に現れるようになった。淡路島沿岸でも寛政9年(1797)頃から見られるようになり、その対応として徳島藩は、岩屋浦や由良(ゆら)浦など灘辺を昼夜監視する篝火焚(かがりびたき)御用を命じ、狼煙(のろし)をあげる場所などを定めている。寛永7年(1854)9月、ロシア東方艦隊の旗艦ディアナ号が大坂湾に入り、淡路島の東浦の下田・釜口(東浦町)沖に仮泊する事件があり、大坂湾沿岸の海防が急がれた。安政2年(1855)幕府海防掛一行が巡視し、海防計画を策定した。それに基づき徳島藩は、大坂湾防衛の拠点として岩屋浦や由良浦に台場を築造し、大砲の鋳造なども行い、淡路全島の村々に農兵の徴用を指示した。この絵図は、淡路島沿岸に所存する村浦などの岸から30間目(約54m)、1丁目(約109m)、5丁目、10丁目、20丁目、30丁目までの各地点での海の水深が記されている。また、陣屋、石火矢場、見張番所の所在地点や、狼煙をあげる場所などを記号によって示しており、幕末の海防に関する資料と考えられる。

資料データ

資料ID
209
種類
地図・絵図
分野
歴史
コレクション
時代
江戸時代
年月日
西暦
世紀
数量
1 舗
サイズ
79.5×51.3
材質
紙本着彩
文化財指定
使用者・使用地・伝来
作者
二次利用について
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