尼崎から明石までの名所旧跡を絵巻仕立てで紹介したもの。道中の各地にちなむ和歌や合戦の故地・遺跡などが記されており、地誌資料としての性格が強い。図中、たとえば楠正成塚には、「建武三年(1336)五月廿五日討死、至寛文十二年三百卅七年」と記され、他に兵庫津・清盛塚にも同様に寛文12年(1672)からの年数記載が見えるため、これ以降に成立したものと考えられる。 摂津の地誌としては、『有馬小鑑抄』、『有馬大鑑迎湯抄』といった有馬温泉関係のものが早くから見られ、全域を網羅したものとしては、『摂陽群談』や享保20年(1735)刊の『摂津誌』がよく知られている。また、この資料とほぼ同一の範囲の地誌としては、宝永7年(1710)刊『兵庫名所記』がある。このほか、「摂播海道旧跡之図」(当館蔵、『兵庫県立歴史博物館館蔵品選集』、1992年、104番資料)など、絵巻形式の類品も散見する。
資料解説
尼崎から明石までの名所旧跡を絵巻仕立てで紹介したもの。道中の各地にちなむ和歌や合戦の故地・遺跡などが記されており、地誌資料としての性格が強い。図中、たとえば楠正成塚には、「建武三年(1336)五月廿五日討死、至寛文十二年三百卅七年」と記され、他に兵庫津・清盛塚にも同様に寛文12年(1672)からの年数記載が見えるため、これ以降に成立したものと考えられる。
摂津の地誌としては、『有馬小鑑抄』、『有馬大鑑迎湯抄』といった有馬温泉関係のものが早くから見られ、全域を網羅したものとしては、『摂陽群談』や享保20年(1735)刊の『摂津誌』がよく知られている。また、この資料とほぼ同一の範囲の地誌としては、宝永7年(1710)刊『兵庫名所記』がある。このほか、「摂播海道旧跡之図」(当館蔵、『兵庫県立歴史博物館館蔵品選集』、1992年、104番資料)など、絵巻形式の類品も散見する。