この図の外題と画中には次の記述がみられる。(外題)五十年餘前之摂津国八部郡神戸村附近村落之略図」大正四年一月書之 佐々木浩然(印)」(画中)五十年前之神戸附近村落之図」神戸村戸数千戸餘、二ツ茶屋村」八百戸餘、走水村三百五十戸餘、」但シ現今ノ元町通也、」大正四年一月書之/六十八老佐々木浩然(印)」この記述から、大正4年に68歳であった佐々木浩然が幕末の神戸付近の村々の状況を思い出して描写したものであることがわかる。外国人居留地が描かれていないことから、開港直前の神戸村付近の情景描写と言えよう。およそ東は生田川、西は湊川の範囲を描写している。この絵図に示される情報は、村・川・山・墓地・寺院・神社・名所・旧跡におよび、幕末期の神戸付近の情勢を窺わせている。開港後は古生田川から宇治川の間の神戸村、二ツ茶屋村、走水村に外国人居留地が設けられ、整然と区画された街並みとなるが、開港以前は田畑がひろがる牧歌的な村落景観を示していた。
資料解説
この図の外題と画中には次の記述がみられる。(外題)五十年餘前之摂津国八部郡神戸村附近村落之略図」大正四年一月書之 佐々木浩然(印)」(画中)五十年前之神戸附近村落之図」神戸村戸数千戸餘、二ツ茶屋村」八百戸餘、走水村三百五十戸餘、」但シ現今ノ元町通也、」大正四年一月書之/六十八老佐々木浩然(印)」この記述から、大正4年に68歳であった佐々木浩然が幕末の神戸付近の村々の状況を思い出して描写したものであることがわかる。外国人居留地が描かれていないことから、開港直前の神戸村付近の情景描写と言えよう。およそ東は生田川、西は湊川の範囲を描写している。この絵図に示される情報は、村・川・山・墓地・寺院・神社・名所・旧跡におよび、幕末期の神戸付近の情勢を窺わせている。開港後は古生田川から宇治川の間の神戸村、二ツ茶屋村、走水村に外国人居留地が設けられ、整然と区画された街並みとなるが、開港以前は田畑がひろがる牧歌的な村落景観を示していた。