元禄14年(1701)の赤穂藩主・浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)による吉良義央(きらよしひさ)への刃傷(にんじょう)に始まり、浅野の切腹とお家取り潰(つぶ)し、そして翌年の赤穂浪士による吉良邸討ち入りと浪士たちの切腹にいたる一連の出来事を、赤穂事件と呼ぶ。謎の多いこの事件はさまざまな憶測や論争を呼ぶ一方で、忠義の美談として大衆娯楽の題材となった。なかでも寛延元年(1748)初演の人形浄瑠璃(じょうるり)『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』(忠臣蔵)は時代や階層をこえて広く受け入れられ、赤穂事件は忠臣蔵を通じて知られるようになっていった。
資料解説
元禄14年(1701)の赤穂藩主・浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)による吉良義央(きらよしひさ)への刃傷(にんじょう)に始まり、浅野の切腹とお家取り潰(つぶ)し、そして翌年の赤穂浪士による吉良邸討ち入りと浪士たちの切腹にいたる一連の出来事を、赤穂事件と呼ぶ。謎の多いこの事件はさまざまな憶測や論争を呼ぶ一方で、忠義の美談として大衆娯楽の題材となった。なかでも寛延元年(1748)初演の人形浄瑠璃(じょうるり)『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』(忠臣蔵)は時代や階層をこえて広く受け入れられ、赤穂事件は忠臣蔵を通じて知られるようになっていった。