『龍野志』の内容を補う龍野の地誌。あと書きに、次のように記されている。 「龍野城主前禄者雖人未詳撰所異本又雖有有或年暦或時代又者父子之相違多不足信用也、然此書無其違其次第明尤可信之至也、故予播東西之古壘及龍野旧跡且亦品々加而次之猶其誤多事恐而己、時寛保二丑年春二月撰之/三宅周貫」 これによれば、三宅周貫という人物により寛保2年(1742)に撰述されていた。外題は『龍野誌補闕 全』とされるが、内題は『播州并竜野領聞書』となっており、当館では『龍野誌補闕』を資料名として採用した。 内容は、次に記すように姫路城図から土産にいたる27の項目からなっている。 〔播州〕姫路城図、明石城図、赤穂城図、領主、播磨郷談、飾西郡置塩山古城(図)、印南郡中道寺山古城図、三木釜ケ城図、平井山古城図、土師山古城図、竹万古城図、丈ケ尾古城図、亀山古城図、播磨国、播磨国拾六郡所謂〔龍野聞書〕龍野領、龍野城主前禄、侍屋敷、舟番所、龍野町、寺社、古城、在辺寺社、山川、古墳、旧跡、土産 前半を播州、後半を龍野にあてている。本編は土産の項目を記述したうえで『播州并竜野領聞書之終』と結ぶが、その後に龍野城図、梶山古城図、上大田山古城図、長谷山古城図、光明山古城図、乙城之図、越部古城図、龍野御城米・御用米記録、家中及龍野在町人畜調等が添えられている。なお、「文政年中 山本源之允謹書写」とあることから、19世紀前期の写本であることがわかる。なお、本書は『龍野志』とともに龍野藩主脇坂家の旧蔵であったと伝えられ、表紙に「脇阪」(朱文方印)の角印が捺されている。
資料解説
『龍野志』の内容を補う龍野の地誌。あと書きに、次のように記されている。
「龍野城主前禄者雖人未詳撰所異本又雖有有或年暦或時代又者父子之相違多不足信用也、然此書無其違其次第明尤可信之至也、故予播東西之古壘及龍野旧跡且亦品々加而次之猶其誤多事恐而己、時寛保二丑年春二月撰之/三宅周貫」
これによれば、三宅周貫という人物により寛保2年(1742)に撰述されていた。外題は『龍野誌補闕 全』とされるが、内題は『播州并竜野領聞書』となっており、当館では『龍野誌補闕』を資料名として採用した。
内容は、次に記すように姫路城図から土産にいたる27の項目からなっている。
〔播州〕姫路城図、明石城図、赤穂城図、領主、播磨郷談、飾西郡置塩山古城(図)、印南郡中道寺山古城図、三木釜ケ城図、平井山古城図、土師山古城図、竹万古城図、丈ケ尾古城図、亀山古城図、播磨国、播磨国拾六郡所謂〔龍野聞書〕龍野領、龍野城主前禄、侍屋敷、舟番所、龍野町、寺社、古城、在辺寺社、山川、古墳、旧跡、土産
前半を播州、後半を龍野にあてている。本編は土産の項目を記述したうえで『播州并竜野領聞書之終』と結ぶが、その後に龍野城図、梶山古城図、上大田山古城図、長谷山古城図、光明山古城図、乙城之図、越部古城図、龍野御城米・御用米記録、家中及龍野在町人畜調等が添えられている。なお、「文政年中 山本源之允謹書写」とあることから、19世紀前期の写本であることがわかる。なお、本書は『龍野志』とともに龍野藩主脇坂家の旧蔵であったと伝えられ、表紙に「脇阪」(朱文方印)の角印が捺されている。